月のいと明かきに

私の過去と今、そして未来マップを綴ります

SNSへの執着を手放す

この2か月くらいの間でいろいろ自分の変化を感じているのですが、とても大きなことを1つ挙げるとTwitter(現X)に依存しなくなりました。

X歴は長くもう12年はやり続けており、交流関係がリアルでは狭かった私には大きな自分の居場所になっていました。

中には実際に会って友達になった人もいます。

 

しかしながらここ数年は・・・

ある共通点で盛り上がりを見せたフォロワーさんたちとのやりとりに一喜一憂する毎日。

・Aさんは推しのファンサを受けてる!悔しい!

・Bさんはダイエットに成功して皆から称賛されてる!羨ましい。

・CさんはDさんと仲良し・・・私は嫌われてるのかな。

・今日はみんなと良い具合にリプやいいねをし合えて良かった。

・ああ、いいねをもらってるんだから自分もしなくちゃ。

 

きりがないくらい沢山のモヤモヤを抱えながらもスマホの画面に張り付く自分がいました。

そこでうまくやろうと必死だったんです。

 

Xのコミュニケーションの世界を重要視するのは

 

・自分に自信がないが、文字だけならうまくやれるかも

・弱いところを見せると優しい声をかけてくれる

・誰かがつらいとき声をかけられる

・自分が頑張ることを発表すると一定数の人はいいねをくれる

 

この辺の理由が大きく、自分の評価を気軽に上げてほしいし、私は良い人になれると言う狡猾な意図が根底にあったと今は思うのです。

自己卑下ではなく単なる分析です。

客観的に見たら、XのようなSNSの世界は現実とは言えないよ、承認欲求のために没頭するのはやめた方が健全だよって言えるのですが…

しかしながら、Xへの執着は手放すことができなくて、暇さえあればタイムラインを追っている自分がいました。

それで今はと言うと、アカウントを削除してはないのですがXをほとんど見ていません。

ムリして遮断したわけではなくて、気づいたら忘れていたと言うのが正確な表現と言えるかなあ。

Xを見るよりも優先してやりたいことがどんどん私の中で増えていったので、自然に離れることになったんだと考えています。

それはタバコを吸っている人がタバコの存在を忘れるくらい驚くことです(元喫煙者)。

自分の生活や人生をより向上していくことにツールとして使うのはもちろん良いと思いますし、玉石混淆とは言え情報も得られやすいのは確かです。

実際楽しいこともあります。

何でもそうなのですが使い方次第なんですよね。

私がのめり込み過ぎていたことは火を見るより明らかなことでした。

今後もうXはやらない!と言う宣言でもなく使い方を変えていこうって思っています。

書いていて恥ずかしい記事でしたがやっと書くことができる話題でした。

 

今日もお読みくださりありがとうございます(*´ω`*)

ハッピーハロウィン!